83度目の正直

シャイニーカラーズをやっています。

シャニマス日記 Part.22 たまに忘れるほど強い理由

このブログ、まだ生きていたのか。

生きてるよ。

まだシャイニーカラーズばかりをやっているよ。

 

やはり俺は生産者にはなれないよ。という話。

 

なんかこう、キャラやコンテンツに対して”解釈”を持つことが正義だと錯覚しているフシがある。

インターネットの方々がどれほど努力をして(若しくはもっと自然に)それをそれぞれの内に芽生えさせているのかは分からないが、少なくとも僕はそれが出来ない類の人間なんだと思う。

自分には無理なんだと理解したうえでそれでもやっぱりなんだか微妙に悔しくて、ちょっと負けた気がして、そういうモヤモヤを解消するためのこのブログだったんだと思う。ただの記録置き場というのもあるだろうが、やはり心のどこかでそういうのを求めていたんだと思う。

 

でもよく考えたら俺は何に負けているんだと。そういう話ですよ。

消費者なら消費者なりの矜持をもってその世界と向き合えば良くないか。

だってそんなことしなくても今この世界に触れて息をしてるじゃん。

こんなにひとつのソシャゲが自分の中で長く息をしているのって初めてなんですよ。

じゃあそこには今のところ他の何でも消せない強い理由があるんだろう。

 

最近発売されたシャニマスの公式イラスト集(地球上最も重要な書物です)内のスタッフインタビューの言葉を借りるなら、この世界を見つめ愛する方法は、深く知ろうとする形も、傍らで見守る形も、それ以外の形も、すべて等しくこの世界に触れようとする方法として正しさを持っているんですよ。きっと。

それを肯定してくれていることに本当に感謝をしています。

だから何の憂いも無く僕はただこの世界を見つめます。

 

ただこの世界を観測してる。観測して、感情を得てる。

その感情を言葉や理屈で説明する必要は無いよ。

どんな理屈にも負けない感情がここに生まれてるじゃん。ならそれでいいじゃん。

誰にも届かなくても、俺に届いてるじゃん。

 

こういう恥ずかしい文章をここに残しておくことに意味があると信じて。

 

 

 

f:id:corridor83:20201030031436p:plain

↑最近すごく良かったボイス。

 

そう、これくらいの楽しみ方でいい。

僕にとって最大限この世界に触れる方法がそれだから。

そのやり方が繋がって今、ここがあるから。